〈手塚治虫とアニメ〉アニメの繁栄を築いた手塚治虫
手塚治虫以降のアニメ2〜虫プロ設立、そしてアトムのTVアニメ化
瀬尾光世の『桃太郎・海の神兵』を見てアニメ製作を決心し、『白蛇伝』を見てその思いを強くした手塚治虫は東映動画に遅れること10年、1961年に「手塚治虫プロダクション動画部」を設立。
既に手塚は東映動画の劇場アニメ『西遊記』で原作・構成・演出を初めて経験し、『シンドバットの冒険』では脚本を手がけていた。アニメ制作のキャリアは少ないもののこれ以上待てないという思いがプロダクション設立に走らせたのである。
翌62年には社名を「虫プロダクション」に改名、同年練馬区富士見台の自宅敷地内に150坪のスタジオが完成し準備が揃った。そして第1作目として制作されたのが中編アニメ『ある街角の物語』(カラー/39分)であった。
この実験的作品は商業的と言えるものではなかったが、芸術祭奨励賞、ブルーリボン教育文化映画賞を受賞し一定の評価を得ることが出来た。そして、次回作として取り上げたのが自らの原作『鉄腕アトム』のTVアニメ化であった。
ところが手塚が製作を決断した時点でスタッフはわずか20名足らず、週一回オンエアーできる体制からは余りにもかけ離れた現実であった。そんな状況で果たして手塚治虫に勝算はあったのだろうか?
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