〈手塚治虫とアニメ〉アニメの繁栄を築いた手塚治虫
手塚治虫以降のアニメ3〜アメリカにおけるTVアニメ事情
日本では不可能と思われていたTVアニメの製作を手塚が決心した頃、アメリカでは既に多くの作品が放映されていた。アメリカにおけるTVアニメの放映はまず過去に公開された劇場短編映画の放映からはじまっており、映画館の人気者だった「ポパイ」や「トムとジェリー」などが家庭に登場し人気を集めた。そんな状況の中、1949年(昭和24年)に早くもテレビ用につくられたアニメが登場する。
その『進め!ラビット』を製作したジェイ・ウォードは動画とセル画の数を極端に減らし、また背景にも同じ場面を何度もつかうといった省略方法を採りことで生産性を上げた。さらに動画などの付加価値の低い作業を人件費の安いメキシコに外注することによって経済性を獲得した。アメリカではTV時代を迎え劇場短編アニメ予算より遙かに安い予算でアニメを制作できる体制を整えつつあったのである。
リミテッドアニメの確立
このウォードが開発した省略法をTVアニメの表現手法として確立したのがジョゼフ・バーバラとビル・ハンナであった。MGMで『トムとジェリー』の制作者として有名であった二人はアニメ部門が閉鎖されたため「ハンナ・バーバラ・プロダクション」を設立しTVアニメに取り組むようになった。
その彼らがTVアニメを製作するに当たって採った手法が「リミテッド・アニメ」だったのである。
これは低予算TVアニメにありがちな極端な省略による不自然な表現を避けるために考えられたもので、一見有り得ない誇張や繰り返しをひとつの様式美とすることで、視聴者に疑念を抱かせずに作品に集中させる方式であった。
ディズニー以前への逆行と言われたリミテッド・アニメであるが何よりもその経済性によって必然的にその後のTVアニメ主流となっていった。
コメント