『手ごわい頭脳』(コリンP.A.ジョーンズ/新潮選書680円税別)
著作権よりは交渉力
本書を読もうときっかけはアメリカの弁護士についての知識を増やしたかったというのが最大の理由であるが、その他にも思いがけぬ余録が結構あった。
まず、なぜアメリカには弁護士が多いかということがこの本を読んでようやく理解できた。訴訟社会で弁護士が儲かるといった理由以上にその法体系自体に根本的な原因があるようだ。
アメリカのロースクールでやることは法律の丸暗記ではなく「弁護士の思考法」を身につけることであること。そして、実際の弁護士になったときの仕事はただひたすら判例を追い求めることであること。これは法原則が先にあるのではなく事実が判例(即ち法律)をつくりだすためである。
さらに、日本の裁判員制度とアメリカの陪審員制度の根本的な違い。この本によると陪審制は検察の妥当性をチェックする機能を強く持っているのに対し、裁判員制度は裁判官と一緒になって被告を裁く役割を担う判決の担保的存在であることがわかる。
そして、この本の中でなるほど思ったのが、「つまり、過去の判例を『攻撃』しながら、同時に自ら法律を作っていくのだ」という言葉である。日本の様にひたすら法律に頼るのではなく、自分で考えて法律をクリエイトして行くのであるという。
この言葉で以前から思っていた契約に対するアメリカ的思考法が裏付けられた思いがした。法律に頼らずまず自分で考えるのである。要するに「考える力」である。そして、自分なりに合理性があると思えばそれを主張する。
ネット時代になって不備が指摘される著作権であるが、著作権法はあくまで目安とし、自分なりの合理性を追求して交渉するという発想が今の日本では大切ではないか。過去の著作隣接権のクリアーに関しても杓子定規に著作権を適用しているだけのように見受けられる。
アメリカ的なフェアユースの精神を根付かせる必要性と共に著作権法に頼り切らない、つまりお上頼みではない精神が必要である。クリエイティブに交渉を進めることこそネット社会時代の権利問題に一番必要な姿勢であろう。
コメント