音楽関連本4〜『GOTTA(ガッタ)!』忌野清志郎(連野城太郎/角川文庫:絶版)
清志郎さん、『自転車唱歌』有り難う御座いました。
清志郎さんが亡くなるとは思わなかった。ガンとは知っていたが、健康的なスリム体だったのでもっと長生きすると思っていたのだが・・・
RCサクセションを知ったのは多分「ヤング720」でだったと思う。『ぼくの好きな先生』を聴いていい曲であると思ったが、3枚目のシングル『キミかわいいね』で清志郎さんの持つ毒が早くも現れていた。
その後、その存在を忘れていたRCであるが、大学を卒業してレコード会社に入るとそこにいた。ということで、かの伝説となった渋谷の屋根裏4days、RCの名前を一躍高めた『RHAPSODY』のライブ録音をした、今は無き虎ノ門の久保講堂などに居合わせることが出来た。
昔のフォークの面影は消え、オーティス・レディングの常套句、「We love all each other」を翻案したことからもわかるように、しょうゆ顔の清志郎さんには一見似つかわしくないソウルフルな出で立ちと相成っていた。
その頃、一度だけ札幌のキャンペーンにお付き合いしたことがある。ラジオなどの媒体を回った後に地元のライブハウスでお披露目のプロモライブをやったのだがブレーカーが上がり真っ暗になってしまった。すると清志郎さんがアカペラで『けむり』を唄いはじめチャボさんがそれに続いた。
そういえば『ボスしけてるぜ』というシングルが有線放送で禁止になったことがあった。内容はフーの『サマータイムブルース』そのままであるが、なぜか中小企業のボス?のお気に召さなかったようである。思えばこの頃からその後の「放送禁止用語事件」「君が代事件」に連なる素地は十分あった。
RCで1年ほどギターを弾いていたのが小川銀次。日本のロックが好きだと言ったご縁から意気投合し、彼のバンドの名前をタイトルとした『クロスウィンド』の発売に奔走することになったといったこともあった。
しかし、人気が盛り上がり、これからという時にRCはキティを離れ他のレコード会社に移籍してしまった。そりゃーないぜと思ったが、一番悔しかったのは多分ディレクターだった森川さんだったろう。キティにいたのが『トランジスタラジオ』までであるが、まあ『雨上がりの夜空に』をリリースしたレコード会社ということでよしとしたい。。
ちなみに、本書『GOTTA(ガッタ)!』の著者である連野城太郎は当時RCのディレクターであった森川さんのペンネームで、のちに山崎まさよしを引き連れてオフイス・オーガスタを設立する人である。清志郎さんを心から尊敬していた森川さん、本当に悲しんでいるであろう。
清志郎さんの最大の魅力はその歌詞にあると思う。低迷期に「帰れない二人」の印税で食いつないでいた述べているが、清志郎さんの叙情的な一面が表れた名曲だと思う。しかし、何と言ってもその魅力はダブルミーニングを多用したシニカルな詞にある。物議を醸し出す楽曲が多かったことを見てもわかるように反骨の人であった。
そんな清志郎さんと再び仕事をする日が来るとはよもや思わなかったが、マッドハウス制作の『茄子〜アンダルシアの夏』の時に自転車繋がりで主題歌をお願いすることになった。BMGにいる元キティの宗像さんを通じて事務所に連絡を取ったところ快諾してもらい、唄って貰うことになったのが『自転車唱歌』であった。その節はお世話になりました。少し早かったとは思いますが充実した音楽人生を過ごされたのではないでしょうか。ご冥福をお祈りしています。合掌。
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