アニメフェアスタートの経緯と歴史
実はこの「中日動漫合作フォーラム」は内容が全部理解できたほとんど唯一のものであった。何故なら他のセミナーでは中国語の通訳がついていないものが多かったからである。同時通訳のものもあったが早々に翻訳機が品切れとなったため英語部分はともかく中国語になるとチンプンカンプンであった。
写真にあるジャッキー・チェンのアニメやカンフーパンダの監督中心のアニメも中国語の翻訳がないため全然わからなかった。TAF(東京国際アニメフェア)もそうだが早急な言語対応が必要であろう。
(カンフーパンダの監督)
それでは、今年で5回目を数える杭州アニメフェアの経緯と歴史を見てみよう。まず、アニメフェアが生まれたきっかけであるが、聞くところに拠ると杭州市の共産党書記長の提案者であったという話や大学の教師が働きかけたなど諸説があるが真偽のほどはわからなかった(聞く人ごとに言うことが違う)。
だが、ちょうど政府が積極的に動漫政策を推し進めた04年からのスタートは時宜(タイミング)を得たものであり、その意味で知材立国宣言と時を同じくした東京国際アニメフェア誕生と事情は似ていると言える。それでは、その歴史を発表データに基づいて追ってみよう。
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