『ピクサー流マネジメント術』その3
エド・キャットムル著/小西未来訳・解説
(09年7月/ランダムハウス講談社/税別1,500円)
スタジオの復権
ピクサーについて思うのは日本的な組織に近いのではないかと思える。ディレクターシステムであり、同時に現場からのボトムアップシステムでもある。
また、キャリアアップのシステムに置いても相似点がある。日本では誰でもプロデューサーや監督になれる可能性がある。ユニオンの縛りがキツイハリウッドでそうした発想自体がそもそもない。ところが、ピクサーでは美術部門スタッフがプロデューサーになれるのである。
ピクサーはハリウッド的な作品単位の契約を結ばないとあるが、これも日本のアニメ業界と近い。作品単位で仕事を依頼されながら、その後もスタジオに居着くケースが多い。
ピクサーを見ているとスタジオの復権を感じる。そして、ディレクターシステム、フラットな組織という意味では非常に日本的である。キャットムル氏が述べているように共同体として機能している。
かつて、スタジオが機能していた日本の映画界では多くの才能を輩出していた。小津も黒澤もスタジオで育ったのである。しかし、オイルショック以降、各スタジオが徐々に制作を放棄することで才能は途絶えた(現在スタジオ育ちの監督はほぼ皆無。まあ、山田洋次さんはまだお元気ですが・・・)
アニメ界が元気なのはまだスタジオが機能しているからであろう。その代表格がピクサーによく似たジブリである。なぜそうなのかについ、業界としてもっと考えた方がいいであろう。
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