台北芸術大学電影興新媒体学園(SCHOOL OF FILM AND NEW MEDIA)が誕生したのは昨年のこと。そこを訪ねてお会いしたのが曲徳益氏(電影興新媒体学院院長、開度美術館館長)と王童氏(電影創作研究所専任副教授)である。
お二人にお会いする前にいきなり見せられたのがフィルムスクールの試写室。といってもデジタル・フイルム兼備、席数200最新のサランドシステムが備えてある立派なもの。ゆったりとしていて六本木TOHOシネマより広い感じである。これだけでもフィルムスクールに対する本気度がわかった。
王童氏は『村と爆弾』(1987年)『バナナ・パラダイス』(1989年)『無言の丘』(1992年)などの監督で、04年には台湾初のCGアニメーションである『紅孩兒決戦火焔山(Fire Ball)』の監督も務めている。04年〜06年台湾金馬奨委員長の重責を担った文字通り台湾映画界の重鎮。今村昌平の作品の美術を担当したと言っていたが(『女衒』の台湾ロケか?)、日本映画界にも沢山知り合いがいるようだ。
1942年生まれというから今年68歳ということだが現役の監督のように若々しい。一方、現場で鍛え抜かれた経験が醸し出す風格は重厚そのものである。氏とは最近の映画事情について話し合ったが、閉塞感という意味では台湾も同様であるとのことだった。
午後から学院長の曲徳益氏の計らいで学内にある開度美術館の企画展を見せて頂いた。母国を離れ海外に長期滞在した各国アーティストによるものであったが、毎回ユニークな企画を考えているようだ。
曲氏によると来年からアニメーション学科がスタートするとのこと。実写だけではなくゲームやCGアニメーションにも対応する人材を育成するという任務を負っているのだそうであるが、芸術大学らしくアート系寄りにするのか、あるいは実際の制作現場寄りにするのか考えている最中であるといった話を伺った。
おそらく近い将来このフィルムスクールから有望な才能が育っていく予感がした。実際、在校生が制作した作品を見せて貰ったが日本の自主映画の水準を上回るレベルのものが多かった。将来的に大学同士の提携も考えて行きたいと思っているが、映画の創作に関しては台湾に学びに行く人間が出てきてもおかしくないと感じた。恵まれた施設と教授陣のもとで創作を学び、中国語とさらに英語も覚えたらアジアと世界をカバーできるのではないか。(台湾編終了)
サービスショット。色々ご案内頂いた台北芸術大学メガネシスターズ