(2013年3月/小山昌宏・須川亜紀子編/新潮選書税別2,300円)
そして、最後に必要なのが、「自分なりの識見」である。これがないと、研究にも評論にもならない。そのクリエーター、作品に対してどのような見識を持つのかが、その研究や評論の付加価値の肝となるところである。願わくば、創り手サイドの無意識を顕在化させ、作品や表現に新しい解釈や意味を見出すことで価値の創出・提示を行えるようになれば最高であろう。
もちろん、当然の事ながら情報性も必要である。そこに書かれてあることが全て既知のことばかりなら、正直読者としては鼻白むであろう。
最後に筆力。小林秀雄のように人を煙に巻くほどの語り口を持てれば、これはこれで評論として成立する。要はその文章そのものが一本立ちしてしまうということである。まあ、小林秀雄志ん生の大ファンだったそうで、確かに落語、講談の語り口を身に付ければ文章そのものが面白くなるのは確かだ。
ということで、『アニメ研究入門』をはじめとして研究者、評論家を目指してくれるのはいいことであるが、最後に本書の問題点について。まず、著者の年齢が分からないこと。書いている人間の世代が分からないと、どうにもそのバックグラウンドが分からず隔靴掻痒という不満が残る。
著者達はクリエーターの年齢が分からず果たして研究が出来るものなのであろうか?同様に、この本を読んでいて著者の年齢が分からないと理解を拒否されているような気持ちになる。声優の生年クレジットじゃないんだから(10月15日天秤座♡みたいな)、年齢は書くべきだと思うが。
あと、アニメージュ本誌をはじめとするアニメ誌が資料として引用されていないが、これはどういう理由からであろうか。歴史や作品論、作家論を語るなら少なくともアニメ雑誌は必須資料であると思うのだが。一時資料とは言えないものの、アニメージュ以下の雑誌は資料としての価値は十分あると思うのだが、そもそもアニメ誌自体の研究があってもよいと思うのだが。
次回は『アニメーションの事典』。
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