3月31日(月)
〈インドで考えたこと〉(8)日本のアニメの明日はどっちだ?
その昔、ジョン・レノンが「自分はキリストより偉い(正確には影響力があると言ったらしいが)」という発言がもとで、ビートルズのレコードが世界各地のクリスチャンによって大量に燃やされたということがあったが(CDじゃありませんよ、ポリ塩化ビニールで出来たアナログ版です)、この種のことは枚挙にいとまがない。
日本は戦争に負けたこともあって、占領軍の政策によって信仰(具体的に神道)の稀釈化が進められたことで、宗教や道徳の権威からのプレッシャーをさほど受けなくなった。それにより、確かに表現の幅が広がったことは確かだが、信仰に対する敬意や畏怖の念が薄れたことも確かである。
どうも日本人は誤解しているようであるが、日本と同じ感覚で「無宗教」と海外で言うことはどういうことを意味するのか。それは、「教化(きょうけ)されていない人間、即ち動物」であると思われるのである。海外で無宗教というのは神という存在を前提とした上で、敢えて信じないという確信犯のことであり、日本のように最初から信じる神がいないということではない(なので、無宗教と言わない方がいいです)。
社会主義圏を除けば、自分より神の存在を重要視する人間の方が海外では多い(要するに神のために死んでも構わないということ。ムスリムの自爆テロを想起するかも知れないが、日本も70年前までは同様のことをやっていた)。その点、現在の日本は宗教的に見て特殊な国であると言えよう。逆に、それであるが故に多様で自由な表現が可能なのだが、一歩外を出るとそれが簡単には通用しないのも確かである。
「愛・友情」「努力」「冒険」「夢」といった普遍的概念に基づいてつくられたコンテンツであれば十分受け入れられる可能性はあるだろうが、その国の宗教的・道徳的タブーに触れるようなものはかなり厳しく、実際それで苦労しているというのが現状であろう。
かといって、今さら世界スタンダードに合わせたアニメをつくれる訳でもないだろう(今まで海外向けといって成功したためしがないし)。今後日本のアニメ産業も海外に比重を移さなければならないことは分かっているが、この表現の問題を抜きにしては前には進ないので、否応でも向き合わざるを得ないであろう。
ブルーオーシャン状態である「大人アニメ」領域の確立か(世界中でアニメを見続ける大人が増えことは分かっているが)。
世界では子どもが増えている状況を踏まえたキッズアニメ強化か。
明日はどっちだ・・・
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