Vol.62〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
手塚治虫を育てた環境④家庭環境〜父親手塚粲(ゆたか)その7
破格の映像鑑賞環境
手塚治虫が恵まれていたのは読書や漫画環境だけではなかった。映画好きの母に連れられて多くの映画を見ていただけではなく、自宅で映像を見られるという当時としては破格の環境にあった。
学生時代から当時高級品であったカメラを所有していた粲は、その当時家一軒が買えるといわれたライカを持っていた。1930年代前半、大卒サラリーマンの初任給が70円の時ライカの値段は420円であった。家一軒は大げさにしても現在なら自動車が買えるくらいの値段であっただろう。
そんな粲が購入したのが銀座の十字屋が大正10年から輸入をはじめた「パティベビー」(Pathe-Baby)というフランス製の映写機である。粲はこの手回しの映写機で子どもたちにアメリカの短編喜劇、ミッキーマウスの漫画映画、チャップリンの映画などを見せていたのだ。当然のことながらテレビ放映の20年以上前にこのような映像鑑賞環境を持った家庭は極めて希であった。
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