小田切氏は以前紹介した力作『戦争はいかに「マンガ」を変えるか
アメリカンコミックスの変貌』(NTT 出版)を書かれた人である。キャラクターと来たので軟派な路線に転向と思いきゃ、おー、やっぱり硬派な切り口。かつてないユニークな切り口で攻めて来た。
小田切氏の問題意識は、『金色のガッシュ!!』の原作者と小学館(編集者)との間にあったトラブルからはじまっている。この事件は既に有名なのでない様には触れないが、氏が違和感を感じたのは小学館サイドの対応。
この事件の解釈について、一般的に、「サラリーマン的な編集者が増えた事によるマンガ制作現場の崩壊」といった見方がなされている事に氏は疑義を感じる。それが小学館サイドの対応で、コミックはもちろんだが、MDを含めると「数百億のビジネス」をふいにする危険を招きながら社内的にはその担当者がまったく譴責されない不思議さの原因を小田切氏は追及する。
その原因を氏は以下の様に語っている。
「日本では文芸批評における小林秀雄の伝統から、批評言説においては作家論、作品論といったコンテンツ分析系ニーズが高く、マンガに関しては手塚治虫の存在により作品そのものを『作家の作品』として属人的に評価する風潮がさらに強い。マンガのアニメ化など多メディア展開や商品化は『マンガ』そのものに付随する現象として扱われ、その相互関係やシステムの分析はほとんど関心を持たれていない」
実は同様の事を中野晴行氏の『マンガ産業論』を読んだ時に感じた。マンガ産業、特にマンガを制作するレベルではそこから波及するものを市場とは捉えていない。もし、そこまで意識して市場をカウントしたなら、日本のポップカルチャーの多くがマンガをルーツにしている事が分かるというに実証になるのにも関わらず・・・・
ということで、以降キャラクターの歴史から本書は展開されて行くのであるが、今までのキャラクター論の中では一番社会的な見地を持っており考えさせられる所が多い。見るべき所が随所にあるので是非一読して欲しい。
(蛇足ながら・・・)
デジタルコンテンツやメディア芸術の定義と本書に書いてありますが、同感ですな。演劇はコンテンツの範疇にはなかったりしますが、放送されたりDVD化されるとコンテンツにカウントされる。天岩戸の昔から、唄や踊り、芝居はコンテンツの原点であると思いますが・・・・。これらの定義、コンテンツに関する考えが所轄官庁に引き寄せられている様で、冷静に考えるとちといびつ・・・
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