2Dアニメと3Dアニメのはざまで〜『スカイ・クロラ』に対する若干の補足3
作画力のピークは2004年?
「必要とされる頭数の半分も集まらなかった」アニメーターで制作された『スカイ・クロラ』。押井監督は日本の作画力のピークは『イノセンス』であったと回想する。確かにいま思えば『イノセンス』がつくられた2004年は日本のアニメ界にとっても大きな意味を持つ年であった。
2004年が日本のアニメ界にとってどういう年であったかといえば、『ハウルの動く城』『スチームボーイ』『イノセンス』という劇場アニメの大作が一度に公開された年であった。宮崎駿、大友克洋、押井守といった日本のアニメ界を代表する三人の作品がそろい踏みしたのである。
実は私もその当時、いまが日本の2Dアニメのピークなのではと思ったことがある。作画力という捉え方ではなかったが、ビジネス的に今後このような2Dアニメの大作がそろい踏みする日は訪れないのではという予感がした。
その根拠のひとつには宮崎、大友、押井も三名の年齢的なこともあるが、その後の人材のことを考えても2004年のような(2D)アニメに対する期待感に満ちあふれた日が訪れるかどうか疑問だったからである。実際、今年宮崎、押井作品が同時にリリースされたが前回のような賑わいは明らかにない。
このような状況の中での衝撃的な押井発言。しかしながら、それは閉塞した状況に対し果敢に挑戦しようという押井監督一流の表現であったのだ。何とキャラクターをも含む3Dアニメへのチャレンジ宣言なのである。