手塚治虫とアニメ
アニメの繁栄を築いた手塚治虫
手塚以前のアニメ〜古い歴史を持つ日本のアニメ
手塚以前のアニメ歴史はどのようなものであったのだろうか。テレビ以前のアニメに関しては東映動画を除いてほとんど知られていないが、意外と古い歴史を持っている。
日本で最初に公開を目的としたアニメがつくられたのは1917年(大正6年)に下川凹天(へこてん)
が制作した『芋川椋三(いもがわむくぞう) 玄関番の巻』とされているが、同じ年に活動を幸内純一(こうちすみかず)、北山清太郎らも制作、公開されている。その意味ではこの三人が日本のアニメの創始者と言えるであろう。
戦前のアニメは今と違って実写の添え物の短編というスタイルが基本であったが、希少価値もあり子どもたちの人気を呼んだ。また教育用としての需要も強く、そのため多くのアニメが生産されるようになったが、正直なところセル・アニメなどの新手法を次々と開発し制作も工程化されて行くアメリカのクオリティや生産性の高さに比べ、各自の秘伝による動画法に頼った日本の作品は明らかに見劣りがした。
戦前のアメリカの作品が今なお高い評価を受けているのに対し、日本のアニメは戦中作品を除きほとんど人々の記憶に残っていないことからもそれが伺える。実際、子どもたちはディズニーやフライシャー兄弟のつくる『ベティブープ』や『ポパイ』を見るために映画館に通っていたのである。