小室哲哉と著作権譲渡
小室哲哉が詐欺容疑で逮捕された。トラブルに至ったその原因が「著作権譲渡」であるという。今回のマスコミの報道によるとあたかも小室哲哉自らの楽曲の著作権を譲渡したように思えるが実際は違うのである。
この「著作権譲渡」であるが、これはアメリカの「COPYRIGHT ASSIGNMENT」の翻訳であるがそれだけでは「訳足らず」なのである。正確には「著作権を管理する地位の譲渡」ということであり、ある意味音楽出版独自のシステムと言えるものである。
そもそも音楽出版という言葉がよくわからない。このネーミングはレコードや放送がなかった時代に楽曲(著作権)を広めるために楽譜を出版したという経緯から来ている。音楽出版社が実際に持つ機能でネーミング「音楽著作権管理売上促進会社」とでもなろうか。
そのへんの音楽出版事情はフジパシフィック出版を育てた朝妻一郎氏の『ヒットこそすべて〜オール・アバウト・ミュージック・ビジネス〜』を読むことを是非お薦めする。これ一冊あれば音楽出版の事情が全てわかる。ちょっと高いがその値打ちは十分ある(ただし、出てくる音楽の事例が古いので若い人にはそのへんつまらないかも知れないが)。
今回の小室哲哉の「著作権譲渡」は要するに楽曲の管理する権利を音楽出版社に与えるというものである。そして、出版社はその対価として著作権使用料の50%〜33.3%程度を管理手数料として貰えるのである。
また、譲渡といっても永遠に相手先に渡るものではなく多くは10年ほどで楽曲権利者(作詞・作曲者)に戻ってくる。権利者はその時点で違った音楽出版社に管理楽曲を移すことができるのである。
かつてマイケル・ジャクソンが巨額を投じてビートルの「著作権を買った」ことがあるが、それはこの楽曲管理権を取得したということなのである。なので、小室哲哉の場合も自分自身の権利(取り分)は既にる債権者に押さえられていたこともあり、楽曲管理権を実業家に売るつもりだったのであろう。
ところが、実際はその楽曲管理権はまだエイベックスの音楽出版などと契約期間中であって実業家の手に渡せなかったというのが事の次第であろう。どこかの出版社に全曲一括で管理委託し、それが直に切れるという前提で小室自身が実業家に話していたなら今回の話は十分成立するのである。小室が意図的にやったかどうかは今後の裁判で明らかになるであろうが、常識的には楽曲管理先が何社かに渡っていれば直ぐには譲渡できないことは音楽人としては自明のことである。
以下蛇足文。
今から28年ほども昔になるが、私がキティレコードに入社してアーティストのマネージメントをやっていたが、白竜もその時代の一人であった。最近は役者の仕事が多い白竜であるが、その当時はバリバリのロッカーで、バックバンドにキーボードが必要ということになり、最初はうる星やつらのBGMなどで知られるようになった安西史孝君に白羽の矢が立ったのであるが、サウンドがハードということで、代わりに推薦してくれたオルガニストが当時まだ早稲田の大学生だった小室哲哉君君であった。
ライオン丸のような金髪に驚いたが、端整な顔立ち、性格は至って温厚、派手な出で立ちを除けば好青年という言葉がピッタリであった。聞けば父親は銀行員であったとのこと。妻が受け取ったミュージシャンの中で一番言葉遣いが丁寧であったとのことで要するにお坊ちゃまであったのだろう。
当時小室君は小沢音楽事務所に所属しており「小室哲哉とFREEWAY」というグループをやっていたが、そちらはおそらく軌道に乗らなかったのであろう、色んなミュージシャンのところで出稼ぎをしていたようだ。楽曲も書けるということで白竜の新曲を彼に頼もうと思ったがホリプロから来たディレクターに無視されてしまった。今思えばもったいないことをしたものだ。
ある日、小室君が白竜のバックを辞めたいと言ってきた。何でも新しいバンドをつくって再デビューするという。その時は確か24、5歳になっていたはずなので、これがダメだともう後がないねと送り出した記憶があるが、そのバンドがTM NETWORKであった。ネーミングが不思議だったので彼に尋ねたところ、メンバーの宇都宮君や木根君とは多摩地区の野球仲間つながりだったそうで、それでTAMA NETWORKということにしたのだそうだ。
それダサくない?と私が言うと、そうでしょ、だからTM NETWORKにしたのと彼が答えた。サウンドはELOが手本と当時のマネージャーがいったTM NETWORKは間もなくブレイクした。それから2〜3度電話で話したことがあったが、彼の活躍を見ながらもう20年以上が過ぎてしまった。その頃の印象では今回のような事件が起きるとはとても考えられないのだが、いつか彼のことは書こうと思っていたがこんな機会になるとは思わなかった。