Vol.54〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
手塚治虫を育てた環境④家庭環境〜祖父手塚太郎その6
現在の物価の二千分の1が目安と言われているが
2006年に共同通信社に勤める岩瀬彰氏が著した『「月給百円」のサラリーマン』によると、昭和初期、夫婦二人の勤労サラリーマン家庭で年俸1,200円あればやっていけたとある。余裕のある中流の目安が3,000円とされているから、そうすると年俸5,800円の手塚太郎の暮らし向きは上流の部類に入ると言ってもよいでいあろう。
さらに、同著では昭和初期の物価は現在の二千分の一であるとしている。そうすると手塚太郎の年俸は現在で換算すると1,160万となるが、これは現在の感覚ではとても上流とは言えまい。現在の二千分の一物価というのはあくまで平均値で、生活実感を計ったものではないのでその辺りをもう少し勘案しなければならないであろう。
昭和初期は衣食住の中でも特に住宅費が安く、四畳半二間の都内住宅家賃が平均十数円(3万円程度、但し風呂なし)、30円から40円も出せば二階建ての一戸建てを借りることが出来た。
さらに、一戸建ても川崎市の敷地45〜50坪、新築二階建て5部屋、門・生垣・庭・水道完備で3,650円、都内で場所にもよるが5,000円(1,000万円)もあれば50〜60坪の家が持てたので、地方であればさらに安いのは当然である。従って、一概に2,000倍かければいいというものではなく、手塚太郎の収入感覚は高等裁判所の長官という肩書きに見合ったものであったはずである。