Vol.71〜第一部手塚治虫とマンガ〜第二章手塚治虫成功の秘密
物語伝達の最適メディア化③
小説、映画からマンガへ
日本においてマンガが物語の最適な器となったのは、手塚治虫という存在がいたからであろうが、小説や映画といったメディアが衰退したこともその要因として上げられるであろう。かつて強力な物語メディアであった小説や映画が次第に芸術の名の下に自ら物語性を放棄しはじめたため、その隙間をマンガが埋めるようになったのである。
ここで、小説における物語のあり方を巡って芥川龍之介と谷崎潤一郎との間に「小説の筋」を巡る大変示唆に富む論争が昭和初期にあったので紹介したい。小説のストーリー性に関する論議で、芥川の「小説の筋の面白さに芸術的価値はない」という意見に対し谷崎は次のように答えている。
「芥川君の説に依ると、私はなにか奇抜な筋と云うことに囚われ過ぎる、変てこなもの、奇想天外的なもの、大向こうをアツと云わせるようなものばかりを書きたがる。それがよくない。小説はそう云うものではない。筋の面白さに芸術的価値はない。と、大体そんな趣旨かと思う。しかし私は不幸にして意見を異にするものである。筋の面白さは、云い換えれば物の組み立てかた、構造の面白さ、建築的の美しさである。此れに芸術的価値がないとは云えない。(材料と組み立てとは自ら別問題だが、)勿論此ればかりが唯一の価値ではないけれども、凡そ文学に於いて構造的美観を最も多量に持ち得るものは小説であると私は信じる。筋の面白さを除外するのは、小説と云う形式が持つ特権を捨ててしまうのである。」(『饒舌録』)
谷崎はここで、筋即ち物語における小説の特権であると述ている。さらに、「小説と云うものはもともと民衆に面白い話をして聞かせるのである。源氏物語は宮廷の才女が、『何か面白い話はないか』と云う上東門院の仰せを受けて書いたものだ。」「それから『俗人にも分る筋の面白さ』と云う言葉もあるが、小説は多数の読者を相手にする以上、それで一向差し支えない。芸術的価値さえ変らなければ、俗人に分らないものよりは分るものの方がいい」と小説と物語の相関性についての見解を語っている。
確かに、この時代はマンガや映画などの映像メディアが端緒についたばかりであり、活字メディアが優勢であったのも当然のことである。しかし、この後小説が物語の最適メディアとしての位置をマンガに譲ってしまうのは、このような谷崎の主張が主流とならなかったからである。それついても谷崎は以下のように的確な指摘がある。
「しかしながら現在の日本には自然主義時代の悪い影響がまだ残っていて、安価なる告白小説体のものを高級だとか考える癖が作者の側にも読者の側にもあるように思う。此れはやはり一種の規矩準縄と見ることが出来る。私はその弊風を打破する為に特に声を大にして「話」のある小説を主張するのである。芥川君も云ってるように、恐らく日本ほど告白小説の跋扈している文壇はないであろう」
谷崎は私小説が蔓延する文壇に耐えられなかったようだ。
「いったい私は近頃悪い癖がついて、自分が創作するにしても他人の者を読むにしても、うそのことではいと面白くない。事実をそのまま材料にしたものや、そうでなくても写実的なものは書く気にもならないし読む気にもならない」(『饒舌録』)
作為のある文章にしか魅力を感じない谷崎にとって、「うそいつわりのない」告白小説体=私小説少しも面白いものではなかった。そのような文学状況に対して谷崎は警鐘を発したのにもかかわらず、最終的に日本では私小説が主流となり小説から物語性が失われて行くことで自然と衰退メディアとなった。今では日本文学の最高峰であった「純文学」=私小説は「純喫茶」「純潔」と並んで死語になった。
また、この小説の変遷をなぞったのが日本の(実写)映画業界であった。戦前戦後にかけて大衆娯楽の王様であった映画であるが、産業の成熟と共にいつしか芸術を目指すメディアとなっていた。映画の「純文学」化である。
このように物語の器が小説や映画からマンガへ移行したのであるが、これは時代によって物語を伝達する器(メディア)が変遷するということを意味するのである。
マンガからゲームへ?
この物語を伝達する器としてマンガが最適なのは相変わらずであるが、最近はゲームがポストマンガの存在になりつつあるという指摘がある。
もちろん、現在でもマンガが安価な娯楽の王者であり、アニメのみならずテレビ番組や映画への原作供給源であることに変わりはないが、人材が次第にゲーム業界に移行しつつあるのは確かなようである。
これについては、石ノ森章太郎が自著『絆』(1998年出版であるから既に10年以上前である)で「かつてならきっとマンガ家になっただろうなという人たちがゲーム業界に集結しているように思われる」述べているように、その趨勢は確実に変化しつつある。
マンガ業界もその辺りの流れを意識して真剣に人材リクルートを考えなければならないであろう(もうやっているかも知れないが)。