大山勝美『私説放送史』
(07年/講談社/1,900円税別)
著者はTBSで『岸部のアルバム』『ふぞろいの林檎たち』など一貫してドラマに取り組んできた看板演出家であった。『私説放送史』と銘打ってあるが、テレビ創世記から放送の現場に身を置いた自らの体験や数多くのインタビュー、そして資料に裏打ちされており、ラジオからはじまる日本の放送史の概観がつかめる良書である。
日本では多くの映像コンテンツが製作されているが、そのほとんどはテレビ、それも地上波放送に向けられたものである。アニメもその例外ではなく、拙著『アニメビジネスがわかる』でも書いたが、2005年に製作されたアニメ(劇場アニメ、OVA、テレビアニメ)の内、テレビアニメが占める割合は約95%であった。このように、アニメ産業において放送メディア、特に地上波との関係は非常に重要である反面、日本動画協会専務理事である山口康男氏が述べているように、「テレビ局の一局支配が際だってきている」(『日本のアニメ全史』)という状況である。
本書はそういう力を持つに至った地上波テレビの経緯がよく描かれている。特に興味深いのは戦後の電波行政事情で、日本初の民間テレビ局である日本テレビ開局に向けての免許争奪戦は敗戦国日本と戦勝国アメリカとの思惑が剥き出しになっており、権力における放送メディアの位置づけがよくわかる。
また、日本の民放の特殊性は世界でも珍しい新聞主導で行われたことにあり、新聞業界の構図がそのまま放送に持ち込まれたという指摘も興味深い。確かに日本の放送局にはアメリカのように映画、電機メーカー資本など新聞系以外の異業種は参入していない。
「20世紀でもっともおいしかった免許は放送免許だ」ということがしばしば言われるが、本書によれば日本初の民間ラジオ局であるCBC(中部日本放送)は1951年に開局したが、わずか3ヶ月で黒字になったという。さらに、同じく1951年に開局したラジオ東京(TBSラジオ)も開局直後にはスポンサーの申込みが殺到し、初年度から株主に年1割配当が可能になった。
1953年開局の日本初の民放日本テレビもプロレス中継の爆発的人気もあり、半年後には経常的に黒字を出せるようになっていたとある。スピードが命とされるIT系メディアにしてもこれほど早く黒字に転化する業種はない。
私は『アニメビジネスがわかる』の中で現在のテレビ局は表現の自由の名の元に経済追求の自由を謳歌していると書いたが、TBSの社長であった今道潤三は1976年に会長職を去る時に次のような言葉を残している。
「・・・放送という強い力を文化の方向に向けようとしたがその夢は全く実現せず、理想とちがった道を走ってしまった。もちろん経済的には貢献し得たと思うが、精神文化の面で成功をおさめたといえないことが残念だ」
尚、日本のテレビ局開設にあたっての興味深い事情については、佐野眞一『巨怪伝〈上〉〈下〉 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文春文庫)、有馬哲夫『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』(新潮社)に詳しい。民放の生みの親で読売新聞社主の正力松太郎は同時に巨人軍の生みの親でもあった。さらに驚くべきことに日本の電子力発電の立役者でもあったのだ。恐るべし正力松太郎。